ようこそ! ソウルのパラム~風~ 2024年4月19日(金) 19:00 JST

トリビア

時の人…Ⅴ…【山崎豊子氏】

 (AAA)
お気付きになりましたか?
最近、山崎豊子氏作品の映画化やリメイクドラマが
続いていませんか?
これは!偶然?
来月(2009・10月)私達は、映画で~テレビドラマで…
山崎豊子氏の作品にあう事が多いようです…               
更には、現在政府の問題に関連ある内容(航空会社問題・密約問題)の
側面を垣間見る事ができます。
作品自体、ちょっぴり真面目な内容なんですが…

  (AAa)
山崎豊子氏の作品の時代…
共通するのは敗戦後の日本から~高度成長といわれる
1960~70年代そして80年代の日本。
良きにつけ悪しきにつけ、国民みんなが(老若男女+子供達も)
一生懸命だった…頑張っていた…底力があった…
情があった…昭和の時代…。
いまなぜメディアはこの昭和時代のドラマを通じて
何を訴えようしているのか…?と考える私は…!?

  (Aaa)
資源のない国では日本と同じこの韓国は…
こんなにも自分の国を愛し~
こんなにも自分の国を守ろうという気持ちにあふれ、
こんなにも日本に負けまい超えてやるという熱情があるのに、
本物の先進国に何故なれないのか?

韓国語に괜찮아요クェンチャナヨというコトバがある。
" 大丈夫、それくらいいいじゃない~気にしないでいいよ~ "
という意味だが…
このアバウトさが!about の範囲が!あるから(大きいから)…
先進国のラインを越えられないのではないかと思う。

昭和時代の日本は!
この괜찮아요クェンチャナヨなかった
誤差は許されなかった!
ゆえに…高度な技術が生まれ、敗戦国から脱皮し、先進国として
今や、世界をリードしているのではあるまい…。
今の日本は「괜찮아요~」ばかり也!
礼儀も、技術継承を受ける立場の者も…。
家庭内も、会社の一部や国家の一部も…。

いま、昭和の精神を、少~しだけ考えてもよいのではないだろう…。
これからの日本を担う平成生まれの若者たち…。
そして、いま日本を担っている私たち…。

  (aaa)
今年7月に、年末帰国の際の課題図書を買ってしまった。;;;
↓ ↓ ↓ ↓ ↓


 
山崎豊子著「運命の人(一)~(四)」だ。
何の予備知識なく…ただ買っただけだった。
先日、パソコンをいじっていたら、
御年80歳ぐらいの方のブログにぶつかった。
南方で終戦を迎えられ、収容所で ある方との出会いで…
新聞記者を生涯の職と決め、そして まっとうされた方で…
まさしく激動の昭和時代を新聞記者の
見てこられた方である。

その方の…
新作「運命の人」のあらすじを読んでw(°0°)wした。
無駄のない凛とした洗練された文章、
時代背景解説や相関解説など折り込みながらの
そのスマートな表現力に感動した~。                       
4冊を読み終えた錯覚におちた。
この作品のモデル事件を実際に見てきた方の、
              臨場感・みなぎる筆力を感じた。

財前五郎…白い巨塔
万俵鉄平…華麗なる一族
壱岐  正…不毛地帯
恩地  元…沈まぬ太陽(参照: 沈まぬ太陽)
弓成亮太…運命の人

これらの主人公たちが活きた昭和の時代…の日本とは?
山崎豊子氏が…生きた昭和の時代とは…?

私たちが学ぶべきもの、忘れていたもの何かが!あると思う…。

 

 ♪ 知ってる~♪♪♪
韓国で…日本の原作(小説やコミック)が、
韓国版でドラマ化映画化されていますよね(^_-)
「花より男子」「白い巨塔」など有名ですが~
いま撮影中の映画で個人的に注目しているのが~…
東野圭吾著「白夜行」です。(参照:時の人~Ⅰ~《東野 圭吾氏》 )   
さてさて、どのように仕上がるかが~ちょっぴりシンパイなんです

時の人~Ⅳ~ 森 光子さんと「放浪記」

前回「 ほほえみ、お江戸に行く 」で、軽く
「放浪記」を観たとお伝えしました。
少しお話を加えたいと思います。

…上京して…「放浪記」の話題性には驚きました。
特に私が観劇した5月18日は、2000回の偉業(5/9)を
達成された後なので…
劇場内は祝賀ムードでいっぱいでした。
よい機会なので 私は…
帝劇内を隅から隅まで見回りました。

◇以外とロビーは狭くこじんまりしていました◇
◇無料ロッカーもホントに無料で使えます
  (返金タイプの無料でなくて)◇
◇隅っこにある、劇場開場の祝辞銘板もパチり・◇

◇ロビー美術品も楽しめました◇

◇本日、座席数1895席に今回補助席プラス40席=1935席也◇
◇劇場内の椅子は…深い円地のベルベット調で…
    レトロぽく…趣がありました◇

“ものがたり”
「放浪記」作者、林芙美子氏の売れない作家時代の20代…
貧困と向かいながらも原稿を書き、
一方で放浪な恋愛人間模様があり…
したたかな方法で、昭和5年、「放浪記」が世に出版され、
女流文壇の流行作家となり多忙な日々をおくり…
そして晩年、彼女に会いに来た、昔共に作家を目指した
元ライバルだった友人が言う台詞…で 終わる…。

『…お芙美、あんた…ちっとも幸せじゃないんだね…』

2009年5月9日、89歳になられたという…森光子氏。
舞台では…
他の配役の方々の強いバックアップは否めないけれども…
声の張り、可愛い仕草、見つめる目の強さ…
その中でも!カフェ内の場面で、女給役の彼女の
ステップ 》 は!素晴らしかった!!!!
20代の女給さんに見えた錯覚におちたほどでした。
今も目に焼き付いて忘れられないほどです。

あぁ~森光子氏が60歳の「放浪記」を
見たかったなぁ~と思いました。
29年前ねぇ…ん~生まれてい…  
  《 ぶぅ~ぶぅ~ぶぅing
ハイ!余裕で,生まれてました!( ̄^ ̄)v 
観客の方々の平均年齢は70歳ぐらいで…
男性も35%程いらして多く感じました。
20代の人は2~3人ほど見かけました。
入場が12:30頃で劇場を出たら…
お濠からの西日が眩しく迎えてくれました。

テレビで見ても伝わらないモノが舞台はありますね。
舞台の素晴らしさを改めて感じさせられました。
J事務所のアイドル達が、森光子氏の応援にくる場面を見て、
最初はわからなかったケド…話題性以前に 彼らは、
森光子氏への『深い尊敬の念』の他に何もない、
と思う様になりました。

私にとってこの舞台は~全く情報も知らず…
深い関心もなく…Off日が月曜日でなければ、
ご縁がなかったと言っても過言ではありません。
ほんまに、私は…失礼者でございます!! (>_<)
でも!こんな私に…このような機会があった事に感謝したく思います。
そして私の人生にとっても…
 
国民栄誉賞受賞、おめでとうございます。


おまけ(;^_^A
私が21才の時…舞台の主役を演じたコトがあります。
ある200人程の成人式の前座ではありましたが、           約1時間の舞台でした。
キャストは素人、スタッフはプロの方でした。
最後に…ひとり舞台に立ち、未来を見つめて…という思いを込め、
スポットライトに向って片手をあげて…台詞を叫び。。。終わりました。
全てのライトに照らされると観客は見えず…
下手な演技に酔いしれてたのを思い出しました(;^_^A
監督さんから頂いた色紙の言葉が…

【 青春は あぶらぜみの 絶唱 】

時の人~Ⅲ~《姜 尚中氏》

《姜 尚中(カン サンジュン)氏》
ソウル大学で最終過程になると週一で歴史の時間がある。
そんな2008年秋のある日、彼を知る事となった。
その日は政治とイデオロギーの内容であった。
授業のビデオ教材で…姜尚中氏が突然!出てきた。
12人のクラスメートの中で日本語が判るのは私1人
何かイヤ~な予感がした。
そして、その予感は的中した。
先生「ほほえみさん、姜尚中氏を知ってる?」
ほ「知りませんでした、今日見て初めて知りました」
先生「姜尚中氏の話を要約してごらん」
ほ「w(°0°)w…☆★◎●◇▲▽★☆」
その日、私は姜尚中という名前を完全消去した。(~ヘ~;)

その2ヶ月後、私は同級生が営む美容室にいた…。
そこで A4版のオールカラーの重たい情報誌をみていたら~
彼、姜尚中氏が…東京大学構内の三四郎池畔で立っている姿に遭遇した。
何より驚いたのは、彼は夏目漱石作品を読み込んでおられるという事だ。

「三四郎」の文中にある<ストレイ・シープ>…stray sheep…

私は姜尚中氏を知らなかった2006年に
「三四郎」を日本語教材として使った時、
何故か三四郎池に無性~に行きたくなり、
その年の8月に東京大学の三四郎池畔に行った事がある。
赤門から誰もいない構内に入り安田講堂を左にして…
右に三四郎池があったと記憶している。
暑い日であったが…池畔は木陰が深く、とても涼しかった。

その情報誌から彼のベストセラー「悩む力」も初めて知った。
情報誌の中で、姜尚中氏個人の考えを少し知り
もう少し知りたくなった2008年の暮れだった。



《イッコーさん》

お名前、このような表し方でよいですか?
タレントで…ゲイのお姉さんです…。
私は彼女を全く知らなかった(;^_^A
ある日、同級生のJ子ちゃんから…
J子「TVでイッコーさんが宣伝してる韓国コスメの
        BBクリーム買ってきてぇ~ん!」
ほ「イッコーさんって誰なん?」
J子「知らんの!?そんなん~かまへんから、E社のBBクリーム5個」
ほ「了解(^-^)了解(^.^)b」
コスメE社は2007年ごろ販売店を大幅縮小し…
ソウル特別市内でも5~6箇所しかないと思う。
そのE社販売店に行ったら…イッコーさんの顔写真広告があり…
彼イヤ彼女を知った。
広告効果は大きく、販売店内は、日本人観光客でごった返していた…。
帰阪した時、テレビでイッコーさんをみた。
朝の番組で…イッコーさんの家のキッチンで何かを作っている内容だった。
若い女子アナウンサーが、イッコーさんの手際のよさ等をほめていた。
ホントに無駄のない動き、料理を作りながら片付ける…
要領のよさは、私も脱帽した…。
イッコーさんが、誉めたたえる女子アナに一言、
「本物じゃないから…真剣にしなきゃイ・ケ・ナ・イ・の!」
なぜか~忘れられないフレーズとなり、同時に彼女への見方が変わった。

イッコーさんは2009年3月、韓国観光公社から
…観光親善大使に任命された。

時のひと~Ⅱ~《 山中 伸弥氏 》

《 山中 伸弥氏 》

# 起 #
帰国毎に必ず顔をだすカクテルバーのお店がある。
行きはじめて…約10年少しになるだろうか
ご夫婦で営んでいる~10人ほどでいっぱいになる
カウンターだけの店である。
帰国したある日~2007・12・4 に
その店に行ったら…ママさんが…
ママ「 うちの店にいらっしゃるお客さんが新聞に載って…
    たいへんなんよ!…全世界が大騒ぎなんよ!」
ほ「 ん?何なん?」
話を聞いてみると…
山中伸弥京都大学教授という人が発表した論文が画期的で
世界的に注目を浴びているという事らしい。
人の皮膚から人工多能性幹細胞(ips細胞)を作り出す事に
世界初成功…傷ついたり病気になったりした細胞を
作り直す再生医療を大きく前進させたという。
ほ「 ふぅ~~ん、そうなの~ 」

# 承 #
ほどなくして、一人の男性が入って来た…
私の二つ席隣に座った…
彼もこの店の常連さんらしいが~初めてみる顔だ。
席が近く…お互いひとり客という事で会話が始まった…
些細なお互いの近況や政治経済など…
違った角度からみる彼の話は興味深く面白かった。
話しているうちに~先程の[山中伸弥教授]の話になり
彼が山中伸弥教授とは…O教育大附属T小学校から
今も無二の親友だと知った。
そして!
彼と山中教授と私は<同級生>いわゆる<同い年>であった。
山中教授にある種の親近感を感じた…。

# 転 #
彼はY氏といって自分を名乗り
親友 " 山中 " の話を熱く語り始めた…。
小学生の時の話、高校生の時の話、なぜ?この研究を始めたか…
その研究過程を知る毎に親友"山中"の偉大さを感じた…と。
Y氏は山中氏にノーベル賞を受ける研究だと
早くから言っているらしいが、山中氏に笑われた…と(~ヘ~;)
笑われても!ストックホルムに行くときは
Y氏を筆頭カバン持ちにするという約束をさせた!と(^.^)b言う。
語るY氏の姿に…親友への深く大きな喜びと誇りを感じた…。
私はY氏に、山中氏の紹介を依頼したら~快諾してくれた。
来る29日に高校の忘年会があり、山中氏が来るから…
ここで11時に会おうと言って電話番号を交換した。

# 結 #
2007・12・29にY氏を待った。
色紙とサインペンを買って待っていた。(;^_^A
11:20頃Y氏がお店に来た。
入るやいなや私を見て
「 すまない!山中は祝い酒をたくさん受けてつぶれているので…
 今から家に送ってくる!戻ってくるから待っていてくれ!」
と言って出ていった…。
お店のマスターが~私が持ってきた色紙をY氏に渡してくれた。
そんなに時間をたたずしてY氏が戻ってきた。
Y氏は山中氏と対面出来なかった事を詫び…色紙をくれた…。
もうろうとしている山中氏に書かせたと言う…。
Y氏は山中氏から聞いた世界の要人(ローマ法王等)との
対面した話を楽しく話してくれた…。
山中氏が書いてくれた色紙…その不完全なところが人間的で気に入っている。

先日、偶然山中氏の2008年神戸大学の入学式記念講演の内容を見た。

同い年として、山中氏の研究の成功を切に願っている。
それ以来…Y氏とはなかなか会えずにいる…。

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