ようこそ! ソウルのパラム~風~ 2024年4月24日(水) 18:30 JST

ほほえみ病院に行く

海外生活で一番神経を使っているのが【病気とケガ】である。
医療保険をもっていないという事もあるが…
症状の説明や医療用語を考えると、
元気な時でも頭が痛くなる。(>_<)
症状が軽い時に、前もって…前もってすれば~大丈夫だと、
絶対に病院へ行く事はナイ!と考えていた。
まだこの若さだから…p(^^)q
…(⇔どんな若さなんだい)
そう、あの日までは…。

救命救急センター編≒
6/6(土)夜10時に、私は知人の娘の一歳の誕生日会から
普通に帰宅し、普通に就寝した。
そして…その5時間後…突然、激胃痛が私を包んだ。
生まれて初めての痛みに…ビックリした。

急変は~何故?決まって土曜と日曜の間の未明に起こるのだろうか…。

冷や汗が出て…体温がだんだん上がっていくのがわかった。
痛みで動けなかった、動けないのが信じられなかった。
窓外が明るくなると、痛みが小康状態になり、
ロフト二階から一階に寝床を移動し、同級生医師のアドバイスを請い…
ピークが通り過ぎるのを待つことにした、耐えることにしたが…
嘔吐・高熱・関節痛は時間と共にひどくなるばかりであった。

どれくらい時間がたったのかわからないが…
インターフォンが鳴った。
駅三つ向こうに住む韓国人友人が 遊びに来たのだった。
私の姿を見て驚き救急車を呼ぼうとしたので、止めた。
何故なら…帰韓して約一週間位だったので
新型インフルと誤診→隔離を危惧したからだ。
しかし彼女は、無理やりタクシーで私を
ソウル大学病院救急センターに運んだ。
問診→血圧測定→検温→X線⇒⇒4つの加薬点滴がなされ…
4時間後に帰宅した。
点滴針が太く…手首近くに打たれ…とても痛かった(>_<)
注射好きの私も閉口した…参った。

その二日後…7月の法事帰国の一週間チケット
二週間チケットに変更した。

∵∴韓医院 編∴∵
例の急変から~体力も少しずつ戻り…日常生活に戻りつつあった。
6月16日(火)朝、私はソウル随一のオフィス街
<江南-カンナム>行きのバスに乗っていた。
<江南>は、上場企業本社も多く…またショッピング店が
ひしめきあう繁華街でもあり、平日昼間は
韓国の人口密度の一番高い所である。
その中心部の停留所で、バスは4車線の第2車線で止まり~
乗客達が降り、私も降りた!!

その瞬間、道路上の凹みに左足がからみ…
第1車線上で私は…こけてしまった!
やっとの思いで立ち上がったが~足が動かなかった
▽左足がひどい捻挫の為だった。
  (後に右足も軽いねんざとわかる)
何より…私は…出勤時間に第1車線を封鎖していた(>_<)
通勤大型バスが私を避けて車線変更していた…▽

私の異変に気付いた韓国人のご婦人が
私の腕を抱えて歩道に運んで下さった。
歩道でサンドウィッチやのり巻きを売っているオバサンが
椅子を貸して下さった。

しばらく…私は呆~然としていた…
     今、自分に何が起こったか理解し…
この後どうしたら良いのか…
    
考えるのにどれくらいかかっただろうか
今も思い出せない。

帰宅をすることにし~、再びバスに乗った。
坂道が多く歩道事情が悪い道を…
              ただひたすら…必死で帰宅した。
普通5分しか、かからない道を30分かかて歩いた。
湿布を張り、アイスで冷やし…少し落ち着いた時、
ほほに熱いものが~つたった。

二日間引きこもって…3時間ごと湿布を張り替え、氷冷却したら…
三日目には…引きずり歩きが出来るようになった…

18日(木)、用事の為<明洞・ミョンドン>に行った、
それから足の休憩がてら…行き付けの鞄店に寄った。
鞄店の女店主は私の引きずり歩きを見て驚き
私を無理やり、タクシーに乗せて…<韓医院>に連れて行った。

問診→脈診断→指圧診断により⇒⇒三つの内臓が悪いのと、
体が弱っているので漢方薬(煎じ薬)を飲むのを薦められた。
足より…弱った体の為の針治療がなされた…
顔に15針&右手親指に6針…痛点の位置に差した針は痛かった▽
翌日は、足の施針を受けた。痛い時は思わず…うめいた(><)

帰宅して…7月帰国の二週間有効チケット
→1ヶ月チケットに変えよとしたら~不況でなくなったとの由。
一年有効チケットに変えた…。

6月20日(土)夕方、二週間分の漢方薬が届いた…
まだ十分に温かかった。
生大根・蕎麦・緑豆・酒類を飲食しないようにとあった。


この約二週間のうち…韓国の西洋医療と東洋医療を受けてしまった…( ̄~ ̄;)…
…日本で宴席を準備してくれている同級生との再会を励みに~
今日も湿布を張り替え続けている…(>_<)v…(参照:2009・7月の日々①♪通院生活編♪)