ようこそ! ソウルのパラム~風~ 2024年12月28日(土) 16:29 JST

2009年1月のご挨拶

 ソウルのパラム ~風~

ほほえみ young-ja の日記

謹みて新春のご祝詞を申し上げます

つつがなく新年をお迎えの事と存じます

みなさまの佳き多き一年を心より祈念します

今年も皆様と共に…ソウルの風の色を

季節を感じて参りたいと思っています。

宜しくお願いします…。

《おみくじ》
二日、近くの巽神社に行きました。
20数年ぶりにおみくじをひきました。
確率高い<大吉>でした。
待ち人; 現われず…とありました
"大吉"ってall OKじゃないの!(~ヘ~;)
今年は…おみくじに凝ってみます。( ̄^ ̄)

。.:*:・'゜。.:*:・'゜。.:*:・'゜。.:*:・'゜。.:*:・'゜

お誕生日おめでとうございます

1日 Km女史   2日Ht女史   13日倶子嬢
15日 武男氏   28日 竜彦氏   29日 HS女史、Ni女史

時のひと~Ⅱ~《 山中 伸弥氏 》

《 山中 伸弥氏 》

# 起 #
帰国毎に必ず顔をだすカクテルバーのお店がある。
行きはじめて…約10年少しになるだろうか
ご夫婦で営んでいる~10人ほどでいっぱいになる
カウンターだけの店である。
帰国したある日~2007・12・4 に
その店に行ったら…ママさんが…
ママ「 うちの店にいらっしゃるお客さんが新聞に載って…
    たいへんなんよ!…全世界が大騒ぎなんよ!」
ほ「 ん?何なん?」
話を聞いてみると…
山中伸弥京都大学教授という人が発表した論文が画期的で
世界的に注目を浴びているという事らしい。
人の皮膚から人工多能性幹細胞(ips細胞)を作り出す事に
世界初成功…傷ついたり病気になったりした細胞を
作り直す再生医療を大きく前進させたという。
ほ「 ふぅ~~ん、そうなの~ 」

# 承 #
ほどなくして、一人の男性が入って来た…
私の二つ席隣に座った…
彼もこの店の常連さんらしいが~初めてみる顔だ。
席が近く…お互いひとり客という事で会話が始まった…
些細なお互いの近況や政治経済など…
違った角度からみる彼の話は興味深く面白かった。
話しているうちに~先程の[山中伸弥教授]の話になり
彼が山中伸弥教授とは…O教育大附属T小学校から
今も無二の親友だと知った。
そして!
彼と山中教授と私は<同級生>いわゆる<同い年>であった。
山中教授にある種の親近感を感じた…。

# 転 #
彼はY氏といって自分を名乗り
親友 " 山中 " の話を熱く語り始めた…。
小学生の時の話、高校生の時の話、なぜ?この研究を始めたか…
その研究過程を知る毎に親友"山中"の偉大さを感じた…と。
Y氏は山中氏にノーベル賞を受ける研究だと
早くから言っているらしいが、山中氏に笑われた…と(~ヘ~;)
笑われても!ストックホルムに行くときは
Y氏を筆頭カバン持ちにするという約束をさせた!と(^.^)b言う。
語るY氏の姿に…親友への深く大きな喜びと誇りを感じた…。
私はY氏に、山中氏の紹介を依頼したら~快諾してくれた。
来る29日に高校の忘年会があり、山中氏が来るから…
ここで11時に会おうと言って電話番号を交換した。

# 結 #
2007・12・29にY氏を待った。
色紙とサインペンを買って待っていた。(;^_^A
11:20頃Y氏がお店に来た。
入るやいなや私を見て
「 すまない!山中は祝い酒をたくさん受けてつぶれているので…
 今から家に送ってくる!戻ってくるから待っていてくれ!」
と言って出ていった…。
お店のマスターが~私が持ってきた色紙をY氏に渡してくれた。
そんなに時間をたたずしてY氏が戻ってきた。
Y氏は山中氏と対面出来なかった事を詫び…色紙をくれた…。
もうろうとしている山中氏に書かせたと言う…。
Y氏は山中氏から聞いた世界の要人(ローマ法王等)との
対面した話を楽しく話してくれた…。
山中氏が書いてくれた色紙…その不完全なところが人間的で気に入っている。

先日、偶然山中氏の2008年神戸大学の入学式記念講演の内容を見た。

同い年として、山中氏の研究の成功を切に願っている。
それ以来…Y氏とはなかなか会えずにいる…。

20年ぶりの再会

2008・9・26に、ソウルいる私にメールが届いた。
小学校・P学院中高と現在も付き合いがあるJちゃんからだった。
小学校時のS君から
「 同窓会、考えてるんだ… 」
という葉書が届いたケド~Jちゃんは忙しい、とのことで
私にその役割が回ってきた。
2008・9・29にS氏にメールをし…
微力ながらサポートする事となった。
20年ぶりの同窓会の企画がスタートした。

♪S氏の場合♪♪∑
私の12月の帰阪に合わせて、同窓会プレmeetingすることになり…
2008・12・9、大阪・難波で会った(^-^)
ふくよかな面立ちで…
ご誠実さと深く静かな優しさをたたえておられていた。
巨人ジャイアンツのスタジアムジャンパー姿が
…お似合いだった(*^_^*)
お仕事の他、トランペットをご趣味とされ
また金管バンドの指揮・指導をされているとの由。
時を越えて話は尽きなかった。
地下街の真ん中を二人で歩いているとき…ふと!
ふたりの小学生がプチ遠出しているような感じがして~面白かった
地下から地上に出た時の風の爽やかさが忘れられない…。
S氏が乗った特急を見送る時…
感謝を込めて深くこうべ(頭)を下げた…。


*T氏の場合**∑
同級生で、先程のS氏とボーイスカウトつながりにT氏がいた。
S氏の後押しもあり…2008・11・2にメールを送信した。
20年ぶりの再会依頼に快諾?してくれた。
2008・11・26に東京・神田で待ち合わせ…
T氏は約束時間の1分前に現れて私を見つけてくれた。
逆に私からは探せなかったと思う。
それ程~貫禄がおありになっていた。(*^_^*)
少し猫背で…いたずらっぽいその目元はお変わりなかった…
お声もお変わりなくて…嬉しく感じた。(^-^)
ビールや日本酒のお話をよくご存知で…
今回色々な日本酒を飲む事が出来て…
楽しく時が過ぎていった…。
最後に飲み納めをしたビールの味は忘れられない…。
別れ際に…
T氏は私の肩を無言で…ポンポンと数回たたいて~帰って行った。
途中振り返って手を振り…人ごみの中へ消えていった…。
なぜか~T氏とはもう会えないような気がした…。
T氏がプロジェクトをしている
人工衛星「いぶき」の成功(2009・1・21)を切に願う…。


※G氏の場合※※∑
2008・12・5にG氏が勤務する病院での再会であった。
私はソウルで肺の再検査を指摘されていた。
同窓会幹事の特権?でG氏が医師である事を知り、躊躇したが…
G氏に相談した。
驚いたのは…彼の専門が呼吸器科であった!
20年ぶりの再会が医師と患者とは…実に面白い。
G氏は白髪混じりで落ち着いた物腰が~
信頼と安心感を与えてくれた。
問診で身長と体重を聞かれ~本当の体重を言ってしまった後で
しまった!4~5kg少なく言えばよかった(//∀//) 」と、後悔した。
問診後、別室で身長と体重を計ることを知らされ…
本当の…体重を言ってて~よかったぁ~と安堵した。ホッ
診察→X線→CT→診断結果までとても迅速丁寧に対応して下さった。
そして良い診断結果も頂いた。
廊下まで見送って下さったG氏に感謝をのべ…
階段を降りながら大きく手を振って…病院を後にした。

このような再会の機会を導いて下さったS氏に感謝したい…。
そして、同窓会は2009・3・29(日)と決まった…。

この時、まさか翌年(2009)に、新たに40年ぶりの再会があり、
その方とS氏と引き合わせるとは…知る由もなかった…。
(参照:2009・7月の日々④∞再会びと∞

時の人~Ⅰ~《東野 圭吾氏》

《東野 圭吾氏》

2006年の初夏のソウルで、彼の名前を初めて聞いた。
何度聞いても聞いても私には覚えにくい名前であった。
当時、同僚で韓国人の日本語教師である若い彼女は
留学せずして日本語原文の本や社説を理解する能力があった。
(外国人にとって漢字とかな混じりの"文章"を読み理解は極めて困難)
彼女から東野圭吾氏の本を数冊買って来て欲しいと依頼され~
帰国時に買いに行った。
今の様に~ 書店入口の平積みコーナーはなく…

それぞれの決められた場所にあった一冊一冊を
5~6冊購入して渡韓した。

お恥ずかしながら…私は読書が苦手、いや嫌いだった…。
読みたくもない課題図書を読まされてから~
単純に、本の類を全く読まなくなった…(/_\;)
彼女に本を渡す前に…ふと「 手紙 」という一冊を読んでみた。
こんな私が、あぁっと言う間に一日で読み終えてしまった。

不思議な事に…私は文章下にある、彼と私と共通する何かを感じた…。

二冊目「 白夜行 」P854頁位を二日半で読み上げた…
そして私は彼に溺れた…。
三冊目「 容疑者X の… 」 四冊目「 秘密 」 五冊目…六冊目…
とうとうお土産の本を全部読み…
同僚へは渡韓して約一週間後に渡した(;^_^A      

東野圭吾氏と私が小中学生の時、生活領域が重なっている事がわかった。
同じ区域に住んでいた。遊んでいた。
もし…私が地域の中学校に通っていたら~
東野氏の四年下の後輩であった…。
東野氏と私との共通点は幼少に住んだ町だった。

彼が見て育った町と私が見てきた町が共通だと思ったのが
「 白夜行 」であり…その主人公の年齢設定が私と同じであった。

東野氏の初期作品には共通な何かがある。
私にはstoryを超えて…彼の深底にある思いを感じる…。        

表現しにくい…が…あえていえば…
「 哀しさ・悲しさ 」
「 切なさ 」
「 どうしようもない…現実を受けとめるしかない… 」
「 …… 」
とでも著しておく。

私は…東野氏の作品に~
いや~圭吾氏に恋をしていたかもしれない…。
彼の作品を短期間で、20冊以上は読んだと思う。
ソウルで周りの友人に
" 東野圭吾氏に会いに東京の出版社に押し掛けるぅ~んだ!"
と叫んでいた ~)^o^(~ホントにそうする勢いだった。

2008年の初夏…彼のエッセイ
たぶん最後の御挨拶 」 を偶然見つけた、迷わずに買った。
そこには、私が会いたい東野圭吾氏はいなかった。
東京の超人気作家 「 東野圭吾様 」 がいた。
あんなに熱かった思いが…
しゃぁ~と急速冷却していくのがわかった…。

2008年11月28日、私は東京品川プリンスホテルにいた。
ホテルは映画館と小劇場が隣接していた。
映画館に行くのに小劇場の前を通ると人々の行列…
並んでいる人に…何があるのかと聞くと…
一日だけの作家達による演劇の招待プレ公演だという。
ポスターに東野圭吾氏の名前があった…これには驚いた。
数メートル先に彼がいる!
しかし~冷めた私がそこにいた。
ポスターにある彼の名前に手をあて…別れを告げた。


次の日に小劇場の前を通ってみたら~がらんとしていて、ポスターもなかった…。
今、読み進まない文庫本 「 時生 」 を持ち歩いている。

 

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